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シュテルン 渡部シェフにきく

シュテルン 渡部シェフにきく

シュテルン ── 星の数ほどお客様に愛されるようなお店でありたいと願って、1983年憧れの地、湘南藤沢にオープン。オーナーシェフ渡部 昭さんはご自身のお店でケーキ職人として腕をふるうかたわら、後進の指導や神奈川洋菓子協会会長など幅広く活動され、2020年秋に旭日双光章を受章されました。

── まず、何よりも最初にこのたびの受章おめでとうございます。これまでの長年の功績が認められたということに

あ~これまでやってきてよかったなぁ、とまず思いました。

ふりかえってみると、途中でこの仕事を辞めてほかの仕事を、と考えたことは一度もなかったんですね。

受章のお祝いに贈られた多数の蘭の鉢植え、それが10鉢ぐらい並んでいるのであたかも花屋にいるかのような感じさえするなかでの取材となりました。

── 渡部シェフのこれまでのキャリア、そもそもシェフになったのは?

1941年(昭和16年)に6人兄弟の三男として山形県の山村で生まれました。戦争中で物資が乏しかったこと、都会からは疎開してきた同年代の子たちが居たのが記憶しています。その当時、近くの都会ともいえ酒田市にあるパン屋の店頭で見た職人の姿に憧れ、中学を卒業後そのお店に就職しました。入って1年ぐらいは、掃除、配達、店番というような仕事ばかりでしたが…..

お店は、パン屋と言っても大きなお店で、パンだけでなく和菓子やさらに洋菓子も作っていました。もっとも洋菓子といっても、今のものとは違ってカップケーキやカステラのようなものでしたが。

パン、和菓子そして洋菓子という順に作り方を覚えてゆくんですが、今でいうところのレシピのようなものがあるわけでなく、先輩がやっているのを見よう見真似するようにして身につけていったもんです。

── お店ではパン、和菓子、洋菓子と幅広く扱っている中で、「洋菓子」を選ばれたのは?

この当時ですから「洋菓子」といっても今のものとは全然異なって、今の言い方をするなら「焼き菓子」に近いものなのですが、それを東京から指導のために派遣されてきた洋菓子職人が作っていました。その姿を見て「格好いいなぁ」そして「洋菓子を作る人に絶対になるんだ」と思うようになったんですね。

この店で5年ほど修行したのち、さらに腕を磨こうと東京に出てきました。といっても具体的にあてがあったわけでもなかったのですが、酒田のお店で働いていた職人さんが東京に戻っていてたので、そこを訪ねて行くと高円寺にある「トリアノン」という有名な洋菓子店を教えてくれたので早速お店に行ってみると「明日から来い」ということになり、ここで働くことになりました。

── いよいよ本格的に洋菓子の道に進むことになったんですね

3年ほどここで働きました。とても厳しいところでしたが様々なことを勉強できました。当時はまだ珍しい生クリームを知ったのもここです。その後、縁あって平塚の菓子屋で洋菓子の製造を任され、21年間働きました。入ったばかりの頃、平塚ではバタークリームがメインで生クリームはほとんど使われていなかったのですが、ここで生クリームを使い始めお店を大きく成長させることもできました。成長に伴って働く人も増え、その人たちの指導や管理など、いわば経営の基本といったことにも関わるようになってきました。

ただ、長年やっていて、工場でただひたすら作るというだけでなく、実際にケーキを買ってくださるお客様と接したいという気持ちが強くなり、独立して藤沢に店を構えることになりました。

── 山形と藤沢とではずいぶん離れていますが?

それは中学校の修学旅行で、東京、鎌倉、江ノ島と回った時の印象が強かったためです。山形の山奥で海を知らなかったこともあり、明るい湘南の海を見て、いいところだなぁ、と憧れるようになりました。

── これまでお仕事をされてきて大変だった、苦労したということは?

小学校などの体験教室などで指導をすると「これまでケーキ屋さんやって大変だったことは?」というようなことをよく訊かれるんですが、これまでの人生で「大変だな」と思ったことがないんですね。今、自分の立場になってみて思うに、苦労が苦労ではなかった、大変とは思わなかったですね。そういったことがあったから現在の自分がいると思うんですね。

独立して藤沢に店を構えるにあたり、店としてちゃんとやっていけるか、給料も払えるかどうかもわからない状態にもかかわらず、一緒に働かせて欲しいとついてきた人や、仕事柄各地でケーキ作りの指導していたこともあり、講習を受けた親が自分の子供をぜひお店で修行させて欲しいという話もいただいて、人がいなくて困るということもなかったんですね。振り返ってみるならば、周りの人に非常に恵まれていたといえそうです。みなさん協力してくれて、そういったことが自分にとって最大の幸せだった、と思えるんですよね。

── では、その反対にこれまでのケーキ職人として嬉しかったことは?

お客様が親子でケーキを買いにこられます。40年近くお店をやっていれば、その子が結婚し、孫ができて、で、その孫を連れてお店に来られるというようなことも多いです。それがもう本当に嬉しいですね。「子供が、このお店のケーキを食べて育ったのよね、だから孫にも食べさせたい」といってくださったこともあるんですね。それはもう最高にやりがいがあるんですよね。

そしてね、ここは住宅街の中にあるお店ですから、あまり変なものを出したらお客様に嫌われて離れてしまうじゃないですか。ですから離れないで来てくださることが一番大事ですよね。クリスマスなんかで「いや~ここのケーキは本当に美味しいんだよなぁ」とお客様に言っていただくと疲れなんか抜けてしまいますよ。

── 今後は?

今でも毎日 8時に厨房に入り仕込み、ケーキを作ってショーケースに並べていますが、2代目(息子さん)が頑張ってくれて時間も取れるので、楽器、それもテナーサックスを習ってみたい、と思っている。

── これからパティシエ(ール)を目指す、あるいは目指している若い人に一言

自分の夢を叶えるには、多少の苦労を嫌なこと、苦労とおもわずプラス思考でとらえて将来を目指して欲しい。それが一番だと思う。

ケーキ作りの基礎ができるまで、それには4-5年はかかるんです。

たとえば釜でスポンジケーキを焼くにしても冬の卵と夏の卵では温度も違うし、今は冷蔵庫に入れて温度管理をしたりしているけど、冷蔵庫から出したての卵ではうまくポイップできないとか、そういったことを実際に経験、それも春夏秋冬と過ごしててやっと掴めることがあるんです。次にパイ、チョコレートをそれぞれ  一年ぐらい、そして仕上げデコレーションをと、これで一通り経験したことになるんですね。

インターネットには情報が溢れ、本などもいろいろあるけれど、どんなに情報化が進んでも技術を身につけるというのは、口でどうのこうの言われて身についてゆくもんじゃないしね、自分でいろいろ経験してゆかなければ自分のものにならないんですよ。個性とかオリジナルな味とは、その先の話です。

── では最後になりますが、渡部さんにとってのスイーツ造りとはなんでしょうか?

僕の味方。

インタビュー取材を終えて

インタビューは、ケーキショップで最も忙しいクリスマスを過ぎて、次のお正月を迎える間の、束の間のゆったりとした時間が持てる日曜日の午後に行いました。 こちらの問いかけに対して、話のあちこちに地元藤沢、湘南へ愛をまじえながら、キラキラとした目で活き活きと答えられるその姿はとても若々しい、エネルギーを感じさせられました。 「これまでのケーキ職人として大変だったことは?」という問いかけに「大変だったことはない」と答えられています。とはいえ、それなりに大変はことも少なからずあったのではと思うのですが、その大変さに負けずに乗り終えられてきたのは、持ち前のポジティブさ、そして何よりも「ケーキ造り」が好きであったのではないかと。中学生が憧れでケーキ造りを選んでから歩んでこられた長い道が、今回の受章につながったともいえそうです。